エコノミック・ノート

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【ゲーム理論】「グッズ転売」は悪なのか?経済学的視点と解決法

(2021.9.22 加筆)

 

こんにちは。

 

この記事では、転売問題を経済学の視点から見ていこうと思います。

 

2019年に特定興行入場券の不正転売の禁止等による興行入場券の適正な流通の確保に関する法律、通称チケット不正転売禁止法が施行されてから、この話題はあまり取り沙汰されなくなって来ています。

 

しかし、転売行為はチケットに限らず様々な品物で行われており、引き続きその是非と解決法を考える必要があるんじゃないかと思います。

 

 

「グッズ転売」と経済学

チケット転売は既に法規制が掛かっているので、今回はグッズの転売を考えてみましょう。企業はグッズを無限には生産できないので、グッズには個数の制約があり、希少な財です。希少な財の配分(=誰が何を得るか)は経済学の問題です。ここで重要な問いは、「良い配分は何か」という事と「どうすれば良い配分が達成されるか」という事です。

 

経済学では、「配分の良さ」を社会厚生で判断します。社会厚生とは、ある社会の状態(ここではある一つの配分)が社会全体で見てどれほど望ましいかを表す指標です。その指標の決め方を社会厚生基準といいます。

 

社会厚生基準は色々あります。もっとも標準的なものはベンサム型と呼ばれるもので、社会にいる個々人が配分から得る「効用」の総和を社会厚生とし、配分の良し悪しの指標とするものです。

 

非常に素朴な見方をすれば、転売はより良い配分を導き、社会厚生を高めるかもしれません。なぜなら、金銭を伴う再配分(=転売)を通して、転売者は利益を得るし、転売されているモノが欲しいと強く願っている人はそれを手に入れやすくなるからです。

 

つまり、単純に転売者を排除する事は、転売の持つ「配分の良さ」を高める可能性を排除する事に繋がり、経済学的には「良くない事」かもしれません。

 

売買が受け入れられない事は珍しくない

しかし、一般的に転売の存在は受け入れられていません。理由は人々の価値観や立場よって様々だと考えられます。

 

「転売者が利益を上げる事自体が嫌だ」と言う人もいるかもしれません。しかし、先程も述べたように、転売者の存在は社会厚生を高める可能性もあります。これは転売が嫌という意見が「非合理的」な事を意味するのでしょうか?

 

私の答えはノーです。そもそも他人の行動にある個人の効用が影響される事と社会状態(=配分)の良し悪しとは別に議論されるべき問題であって、上のような考え方自体は「非合理的」な事ではありません。実際、そうした状況では社会厚生の追求と個人の利得の追求が同じ方向に向かない事が多い事が知られています。つまりは、よくある事なのです。

 

そもそも、金銭を伴う取引が受け入れられない事も珍しい事ではありません。臓器売買は数多くの国で禁止されているし、金銭授受を伴う性交渉も禁止されている場合が多いです。どちらも理由は様々と考えられますが、共通しているのは「社会に受け入れられていない」結果として違法とされているという事です。

 

転売が受け入れられない理由も人々によって様々だと考えられます。よって、その全てに対処する理想的な配分システムを考える事は、あまり現実的とは言えないでしょう。むしろ、それを満たすべき制約とした上で、配分システムを考える方が現実的です。

 

(2021.9.22 加筆)

さらに重要な問題として、「社会厚生」は社会状態の良し悪しを評価する唯一の基準か?という疑問があります。これはあくまで仮想上の話ですが、ある独裁国家の社会厚生が、摩擦のある市場を持った民主国家の社会厚生が高かったとして、直ちに独裁国家の社会状態の方が良いという結論に至るのは、適切な議論とは一般的に考えられていないでしょう。

 

加えて、「社会厚生基準」をどのように取るか?(何をもって良し悪しを評価するか?)という問いも、ただ一つの決定的な答えがあるものではありません。

 

1つだけ確かな事は、経済学は転売の良し悪しに対するただ1つの決定的な答えを出す事は出来ないという事です。それは、「社会厚生」は基準の取り方によっていくらでも変わるもので、実際に政策を議論する際には経済学が考える「社会厚生」以外にも様々な論点があるからです。

 

オークションは適当な解決法か?

では、どのような解決法が考えられるでしょうか?

 

チケット不正転売禁止法の施行よりも前に、ある経済学者が「チケット転売問題は主催者がオークションを行えば解決できる」という趣旨の記事を書いて、SNSで賛否が論じられる事がありました。以下がその記事です。

 

gendai.ismedia.jp

 

しかし、これは典型的な「現実を見れていない経済学者」の提案と言えます。

 

映画の価格を例に取りましょう。映画は話題作でも駄作でも全て同じ価格で提供されている(経済学的には)不思議な財です。なぜ価格は変わらないのでしょうか?

 

一般的に、需要増加による価格引き上げは消費者に受け入れられにくいという知見があります。

 

もっと簡単な例で考えてみましょう。ある有名歌手が亡くなったとします。そうすると、その歌手のCDや楽曲への需要は一時的に高くなるでしょう。しかし、それを理由にレーベルがCDの価格を吊り上げたらどうなるでしょうか?人々からは恐らく、冷たい目で見られるのではないでしょうか。

 

映画についても同様です。最初は誰でも¥1500で鑑賞出来た映画を、最近周りで話題になっているから自分も観てみようと思って映画館に行ったら、いつの間にか¥2500に価格が釣り上げられていとしたら、貴方はどう感じるでしょうか?

 

オークションを行う事は、客側から見れば需要増加による価格引き上げと実質的に変わりません。客が「売り方がフェアではない」と主催者に不信感を募らせれば、後の利益の悪化にもつながりかねません。

 

また、主催者やアーティストはイベントによる収益だけではなく、多様なファンにイベントに参加してほしいと考えているかもしれません。そもそも単純に収益のみを重視するのであれば、オークションなどせずともチケットの値段を最初から高く設定すればいいのです。

 

主催者にとってオークションを開催する事は結果的にファン離れにつながりかねず、また収益以外の観点を放棄するという点でも良い策とは言えません。

 

そしてこの事は、チケット販売に限らない可能性があります。グッズ販売に関しても、需要増加を理由にしたオークション開催は得策ではないかもしれません。

 

交換システムが理想ではないか

私自身のグッズ転売問題への提案として、「交換システム」を提案します。ここで交換システムとは、自分の持っているものと欲しいものを掲げておき、交換したがっている人とマッチする大きなプラットフォームです。
 
グッズの交換は、実は既にSNSで頻繁に行われています。「交換 求 譲」といったワードをTwitterで検索を書ければ、グッズの交換を求めているツイートが沢山見つかると思います。
 
「ならTwitterでいいじゃん」と思われるかもしれません。しかし、これには少し問題があります。
 
というのは、Twitterは「グッズ交換相手を見つける事」それ自体を目的としたプラットフォームではないため、「交換を求めてはいるけどTwitterはやっていない」潜在的な交換相手が多く存在する可能性があります。
 
また、Twittterで交換相手を見つけるためには、一つ一つ手で検索するしかないため、相手をサーチするコストがかかってしまいます。
 

交換を一義的な目的にしたプラットフォームがあれば、交換を求める多くの人々が一つの場所に集まる事になります。人が集まれば集まるほど、交換相手が見つかる可能性が高くなるため、より多くの人が集まります。

 

また、欲しいものと譲れるものを予め登録できるようにすれば、検索履歴などから交換相手をサジェストするようなシステムを導入する事も可能です。これによって、交換相手をわざわざサーチするコストも下げる事が出来ます。

 

このような大きなプラットフォームで、交換を安全に行う事が出来る環境を整備すれば、金銭を伴わない財の再配分が可能となり、転売に頼らずにより良い配分を達成出来るのではないでしょうか。

 

今回はここまでです。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!