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帰納的ゲーム理論(Inductive Game Theory)を学ぶ

この記事では、ブログ主が作成した帰納ゲーム理論(Inductive Game Theory)*1についてのノートを公開しています。

帰納ゲーム理論とは、情報不完備ゲームの定式化の一つで、「各プレイヤーはゲームの構造について事前には無知であり、ゲームを繰り返しプレイする毎に、結果から構造についての情報を事後的に得る」という仮定から、人々の帰納的な認識形成や行動規則を分析し、制度・慣習・規範の発生を捉えようとするゲーム理論の新しい分野です。

ゲームの構造の少なくとも一つがプレイヤー間で共有知識(common knowledge)となっていないゲームを情報不完備ゲーム*2といいます。この標準的な定式化として、Harsanyiによるベイジアンゲームがあります。これは、全プレイヤーが共有する事前分布(common prior)を仮定し、これをゲームのルールの一つに含める事により、「最初に何がどの確率で起こり得るか」は共有知識である情報完備ゲーム(=ベイジアンゲーム)として記述するという定式化手法です。*3

帰納ゲーム理論においては、Harsanyiが導入したようなプレイヤー間の共有事前分布は仮定されず、情報不完備ゲームの完備化も行われません。したがって、情報不完備なゲームをそのまま扱うための新たな分析手法を構築する事になりますが、「全プレイヤーが共有事前分布を持つ」という非常に強い仮定を回避する事が出来ます。

現在はパイオニアワークであるKaneko and Matsui (1999) の内容を途中までまとめています。こちらに加えて、情報プロトコル・情報片・記憶関数*4という新しい概念を用いて帰納ゲーム理論を一般的に定式化したKaneko and Kline (2008b) およびKaneko and Kline (2013)までは少なくともまとめたいと思っています。*5

Section 1.4 以降は工事中となっていますのでご注意ください。順次更新していく予定です。

なお、言語は英語となっています。日本語化は今のところ検討しておりませんが、ご要望があれば……。

 

学ぶ際に参考となるものを挙げておきます:

帰納ゲーム理論の提唱者の一人による著書。経済理論やゲーム理論の根本的な問題点について、戯曲・対話篇形式で書かれたもの。第5曲では「方法論的個人主義」と標準的なゲーム理論との関係を細かく吟味した上で、それを乗り越える帰納ゲーム理論への導入が語られる。英訳版がSpringer社から出版されている。*6

  • 船木由喜彦・石川竜一郎編(2013)『制度と認識の経済学』NTT出版.

金子守先生の業績をまとめた一冊。第7章・第8章では共同研究者たちによる帰納ゲーム理論の入門的な解説が与えられている。また「ナッシュ社会的厚生関数」*7や「ゲーム論理」*8といった、他書ではなかなかアクセス出来ない興味深いトピックについて、丁寧な入門的解説を読む事が出来る。

帰納ゲーム理論の提唱者のもう一人による著書。第16章・第17章では、Kaneko and Matsui (1999) で分析されたフェスティバル・ゲームの簡易版を通して、差別と偏見の発生学という帰納ゲーム理論の原初的なテーマが解説される。

なお、著者は進化ゲーム理論という分野の研究でも世界的に著名である。帰納ゲーム理論とはズレるが、基本理論と様々な応用について解説されており、この分野の手引きにもなる。*9

帰納ゲーム理論のアプローチを、かつて分析哲学の一大派閥であった論理実証主義の観点から再考するというユニークな研究ノート。『制度と認識の経済学』の編著者によるもの。ラッセルおよび論理実証主義の世界観と、帰納ゲーム理論の方法論を比較しつつ、W.V.O.クワインによる「経験主義の2つのドグマ」批判*10に答える形で、帰納ゲーム理論の目指すべき新たな方向性を提案している。2章は、最も簡潔で分かりやすい帰納ゲーム理論の紹介となっており、一読をお勧めする。

過去の論文や雑誌の記事等を閲覧できる。実はこの記事で紹介した論文のほぼ全てはここで閲覧できてしまう。

『制度と認識の経済学』の刊行を記念して行われた、石川竜一郎先生による金子守先生へのインタビューを記事にしたもの。帰納ゲーム理論を含めた「制度と認識の経済学」への壮大な構想が語られる。数式を通さずに基本的なアイデアを知ることが出来ると共に、各氏の人となりも垣間見られる。

 

個人的な疑問や考えをまとめておきます:

  • ゲームのプレイヤーはゲームの構造を事前には知らないが、メタ的な分析者は正しいゲームの構造を知っているという前提に立っていると思われる。応用研究の場合、現実を抽象した「正しいゲーム」もまた分析者の主観的世界であると捉える事も出来るが、このズレはどのように正当化され得るだろうか。
  • 利得関数を知らないという事は自己の目的を知らないという事である。しかし、それがメタ的には最初から与えられているのだとすれば、「本質が実存に先立つ」ような人間像となってしまっている。これを回避するには、利得関数を内在的な選好の表現ではなく、外在的な社会状況の表現と捉えれば良い。
  • 「良くゲームの構造を理解できたと認識しているプレイヤーほど、実験的な行動や他者の経験の観察をしなくなる」という行動習性を入れる事は出来ないか。
  • ゲームのルールについての事前の知識の範囲を変える事で、分析の対象を細かく出来ると思われる。
  • 帰納ゲーム理論において、知識は蓄積されていくものである。そして、各プレイヤーの世界観は、蓄積された知識と矛盾しないように形成されていく。このプロセスにおいて、例えばパラダイム・シフトのような劇的な変化はどのように記述できるだろうか。
  • 陰謀論のような「極端な世界観」を持った主体の成立を説明出来ないか。カナダの哲学者ヒースは、帰納ゲーム理論と非常に相性が良い形式で陰謀論を特徴付けている: "Conspiracy theories are better understood as a particular type of intellectual trap that people can fall into, in which they have enormous difficulty seeing the problem with a set of beliefs that most others regard as arbitrary and unjustified." (p.4) ; "the beliefs are not only acquired through an irrational process, but are also peculiarly resistant to rational critique and revision." (pp.5-6). 下記の解説記事も参照のこと。

    kozakashiku.hatenablog.com

  • 帰納ゲーム理論のアイデアは全体として、ヒュームの認識論に非常に近いと思われる。「ヒュームの認識論の数理化」*11といった宣伝も可能かもしれない。ロックの認識論とも近いが、帰納ゲーム理論は各プレイヤーの初期の行動様式(regular behavior)を仮定するため、「タブラ・ラサ」説とは相容れない。
  • 吉田敬(2021, 勁草書房)『社会科学の哲学入門』p.44に以下の記述がある: 「行為者と制度の相互作用に関してより良い説明を行うことが社会科学においてますます求められている…。」帰納ゲーム理論は、人々の帰納的認識形成と制度の内生的発生を同時に分析する「行為者と制度の相互作用」の理論に他ならない。

 

*1:帰納論的ゲーム理論という事もある。

*2:Games with Incomplete Informationという。不完全情報(Imperfect Information)とは区別される。ベイジアンゲームは情報完備な不完全情報ゲームである。

*3:より細かく言うと、確率的に得る私的情報(タイプ, type)を持つ各プレイヤーの主観確率分布(信念, belief)のベイズ更新を仮定し、ゲーム内におけるこの事実と各プレイヤーが持ち得る私的情報全体の集合(タイプ空間, type space)も共有知識とするので、全てのプレイヤーの主観分布体系(信念体系, belief system)も自動的に共有知識となる。詳しくはこちらを参照。

*4:それぞれinformation protocol、information piece、memory functionの訳。

*5:標準的なKuhn流の展開型ゲームの定式化を踏襲したものとしてKaneko and Kline (2008a) があるが、こちらはかなり複雑な定式化となってしまっているので初見では避けた方が良いと思われる。

*6:日本語版の本文では、Game Theoryの訳語としてゲームという訳語が徹底して用いられている。これはSet TheoryやNumber Theoryを集合論や数論と訳す慣習に則している。ゲーム理論という訳語から滲む"高尚さ"のフレーミングを暗に批判している可能性もある。

*7:元論文はこちら

*8:解説論文はこちら

*9:進化ゲーム理論は、ある集団の戦略分布の進化動学と突然変異への安定性という観点から制度・慣習・規範を捉えようとする分野である。帰納ゲーム理論は、「同じゲームを何度も繰り返す設定」「同じ行動を取り続ける主体」という進化ゲーム理論の構造を批判的に継承している。

*10:ここでいう経験主義は論理実証主義を指している。W.V.O.クワインの思想についてはこちらの本に詳しい。

*11:自然化としても個人的には良いが、「自然化された認識論」を掲げるW.V.O.クワインが志向する経験科学には未だ到達していないとも思えるため、数理化とした。