この記事は、哲学の専門的な教育を受けていない、あるいは今まで哲学にほとんど触れた事のない(私のような)者が、ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読み進めていくためのロードマップを記したものです。*1*2
『論理哲学論考』は『存在と時間』とともに、20世紀哲学を代表する哲学書とされていますが、難解である事で有名です。*3
実際のところ、ウィトゲンシュタイン自身は、彼の師であり、数学史・哲学史に名を遺すB.ラッセルやG.フレーゲも内容を理解していないと嘆いていたようです。
そのような書物を素人が丸裸で特攻して理解出来るはずがありません。先達の力を借りながら、必ず準備をしてから臨むべきと言えます。この記事では、その準備となる(恐らく)最短のルートについて記載しています。
1. 邦訳版の解説
まずは、下記2つの邦訳版にそれぞれ付録として掲載されている解説を読みましょう。なお、この時点で本文を読む必要はありません。
『論理哲学論考』という書物には、ざっくり言ってどのような事が書かれているのか、この先どのようなキーワードを理解する必要があるか、といった読解のポイントとなる事柄を把握する事がこのステップの目標となります。
まずはこのステップを通して、今後の学びの見通しを立てましょう。
なお、岩波文庫版が邦訳のスタンダードとなっているため、本文についてはこちらを主に参照する事になるでしょう。その意味でも、少なくとも岩波文庫版は手元に持っておくのが無難です。
一方の光文社新訳版は、出来る限りドイツ語原文のニュアンスに忠実となるよう訳したものらしいのですが、翻訳者は哲学研究者ではなく独文学者であり、かつAmazonレビューで指摘されている通り誤植も存在するため、本文は参考程度に参照するに留めるのが良いかもしれません。
2. ウィトゲンシュタインの入門書
『論考』に挑むに当たり、ウィトゲンシュタインの生涯と思想についてある程度知っておく事は無駄ではないでしょう。
これらについての入門書としては、以下の2つがあります。
どちらの本も、『論理哲学論考』以外の思考にも触れられていますが、まずは『論考』に絡む部分だけ目を通すとで良いでしょう。
永井本は書かれた時期が古い事に加えて内容にクセがあり、読みやすさは下がる一方で、超越的/超越論的という微妙な区別についての指摘など、独自の視点があるのが特徴です。
一方の古田本はクセがなく読みやすい、良い意味で現代的な入門書となっています。
このステップの目的は、ウィトゲンシュタイン自身の問題意識を知る事、またそれを通して哲学的な問題設定や思考の仕方に「慣れる」事です。
ウィトゲンシュタイン本人はそもそも何をしたかったのか、そのルーツを探って形而上学がどういったものであるのかについての理解を深めましょう。*4
ただし、次のステップで紹介する解説書が非常に読みやすいため、もし時間がなければ、このステップは飛ばしてしまっても良いと個人的に思います。
3. 『論考』の入門書
さて、哲学のやり方にある程度慣れたら、次は本格的に『論考』へ歩を進めましょう。2023年5月時点で、最も読みやすい入門書は以下となります。
ステップ2の古田本と著者が同じであるため、一部内容が被っていますが、こちらの方がより詳細な『論考』の解説書となっています。
思想の骨格となる部分に絞って解説されており、初心者を迷子にさせない優しい作りです。また、本文をほぼ文字通り読むような解説となっているため、ステップ2の古田本と同様にクセがなく、非常に読みやすい解説書となっています。
ここからが本格的な入門となると思ってください。焦らず、ゆっくり丁寧に読み進めていきましょう。
4. 『論考』の一歩進んだ解説書
ここまで来れば、『論理哲学論考』について標準的な理解を得る事が出来ているはずです。
この次のステップでは、敢えて自分の理解を一度疑ってみる事が必要です。
『論理哲学論考』には多様な解釈が可能な部分があり、それらの点について別々の視点から考える事で、深い理解に辿り着く事が出来るからです。
以下の本はそれぞれ、独自の解釈を提示しつつ、『論理哲学論考』について自由に批判・修正を試みている本です。したがって、1冊目として読むべきでは無いにしても、一通り把握した上で読む事で理解の助けとなるはずです。
長年定評のあるものとして、以下の2冊があります。
野矢氏は岩波文庫版の訳者で、『論考』を含めウィトゲンシュタイン研究の第一人者です。鬼界氏もまた著名なウィトゲンシュタイン研究者で、『論考』と並ぶもう一つの主著『哲学探究』の訳者でもあります。
また、比較的最近出版されたものとして以下があります。こちらは講義形式の解説書となっています。入門とありますが、内容はここで紹介した入門書よりも高度だと思います (筆者未読)。
参考までに、私は鬼界本→野矢本(→大谷本の予定)の順で読みました。恐らくどの順番で読んでも問題はないと思います。個人的には、鬼界本は独特のアプローチや解釈が多く、最も興味深く読みました。
5. さらなる理解を目指すために
ここまで来れば、初心者からは脱したと考えていいと思います。よく知りませんが、学部のレポートを書く準備くらいは出来ているレベルになっているのではないでしょうか(そんな事なかったらすみません)。
さて、『論考』を語る上でどうしても避けて通る事が出来ないものが一つあります。記号論理学です。
とはいっても、『論考』を読むに当たって求められる知識は初歩の初歩に過ぎません。フレーゲ・ラッセルの記法を知っておく事で十分であり、『論考』の時代に存在しなかったヒルベルト流やNK、シークエント計算といった証明論の知識は不要です。
私の手元にあるもので、独学に向いていると思われる入門書をいくつか挙げておきます。
数学系:
哲学系:
6. さいごに
この記事で紹介した書籍を全て読み終えたならば、『論考』についての邦語の概説書はあらかた読み終えた事になります。次のステップでは研究書に手を出す事になるでしょう。
これ以降は、とりあえずこれを読め!というものはありません。
この記事で紹介した各書籍の巻末等で紹介されている文献案内から、各々の興味に沿って読み進めていくのが良いでしょう。
以上、ここまで読んで頂きありがとうございました。
*1:そもそもそういう人間は読むべきではないという意見もあります。
*2:伝統にならい、表記はウィトゲンシュタインに統一します。
*3:なお、この難解さは読者の読解力の問題ではなく、そもそも本文が曖昧である(=一意に読み取れない)事に由来しているという意見もあります。
*4:なお、哲学研究者や哲学専攻の学生にとっては常識ですが、ウィトゲンシュタインにとっての「哲学」は、他の哲学者にとっての「哲学」とはかなり異質である事は念のため明記しておきます。