エコノミック・ノート

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【書評】千葉雅也 現代思想入門

 


オススメ度 ★★★★☆


書店やTwitterでやたら顔写真と名前を見かける著者の新著。フランスのポスト構造主義(≒ポストモダン)思想を著者自身の解釈を交えつつ分かりやすくまとめている。

入門のための入門 (p.17) とされており、想定されている読者は全くの素人である。例えば、「ガタリやらデリダやらラカンやら、名前だけは『魔法陣グルグル』に出てくるから知っている、『知の欺瞞』でソーカルにボコられた数学音痴たちでしょ?」という印象を持っている(私のような)人間にもオススメ出来る。というのも、ソーカルが批判したレトリックは基本的には廃され、あくまで思想の骨格を解説するように書かれているからである。

教育的な姿勢も感じられる。それは、ただ次に読むべき入門書を紹介しているという表面上の事についてではなく、プロの仕方を素人に開示するという著者の姿勢についてである。第六章「現代思想のつくり方」および、付録「現代思想の読み方」ではそれぞれフランス現代思想の研究作法を俯瞰的な視点でまとめている。こうした記述は教科書的というよりも講義的である。数学の講義で、教員がその場で考えながら証明を板書する感覚に似ている。

素人ながら興味深く読みはしたのだが、一つ腑に落ちない事がある。これらの思想から得られる帰結は何か?という事だ。著者は、現代思想を学ぶ効用について、「現代思想を学ぶと、複雑なことを単純化しないで考えられるようになります。単純化できない現実の難しさを、以前より「高い解像度」でとらえられるようになるでしょう」(p.12) と書いている。それは例えば具体的にはどのような現実の難しさだろうか?

ドゥルーズの生成変化や古代的ポストモダンという考え方から着想されたらしいタスク処理のライフハックは面白く実践的ではあるが、それによって「単純化できない現実の難しさを、以前より「高い解像度」でとらえられ」ているとは思えない。同性愛を基礎づける事が出来るとする記述もいくつかあり、それらは説得的であるが、応用先がそれ一つだけという事はないだろうと思う。

フーコーの生政治に関する説明では、新型コロナ問題を例に「ワクチン政策は生政治であ」ると批判出来るため、「ワクチン反対派…にも一理ある」とされている (p.99) 。しかし、医療・疫学研究においては一言に反対派といっても、忌避(hesitancy)・拒否(refusal)・親による拒否(parental refusal)等々と様々に分類されており、更にそうした態度を取る理由にも様々な差異がある事が報告されている。ポスト構造主義者が言う通り、「物事は複雑」(p.198) である。具体的な細部をおざなりにする結果、雑な議論になってしまっていないだろうか。

極めつけに著者は、序盤で「現代では「きちんとする」方向へといろんな改革が進んでい」るとしつつ、「具体的にどういう問題があるかと例を挙げると、その例だけに注目して拒絶され、…話を聞いてもらえないかもしれない」と具体的な例を挙げる事自体を避けてしまっている (pp.12-13)。しかし、ポスト構造主義の思想に従うのであれば、抽象的な思想(=直接・パロール的なもの)と同じかそれ以上に、具体的な細部(=間接・エクリチュール的なもの)や、その相互の繫がりをつぶさに探究すべきではないのだろうか。

アカデミックな仕事としては、他人の思想を上手く纏めて紹介したり、それらの新たな解釈を提示したり、というので十分に評価すべきものだろうが、一般向けの仕事としては、その内容を理解する事の効用まで含めて具体的に提示し、説得力を持たせて欲しいと感じる。もしそれが出来ないのであれば、それもまたあり方として肯定する。しかしその場合は、(フーコーのものを除く)これらの思想の多くが社会的問題について、間接的なレンズにはなり得ても、直接的な示唆を与えるためのツールにはならないと素直に認めるべきであろうと思う。強調するが、それが悪いという話ではない。どの範囲で使用すべきかという倫理の問題である。