エコノミック・ノート

経済学を正確に分かりやすく。あと数学、読書とか。

哲学をファッションとして学ぶ

哲学を"ファッション"として学ぶことについて嫌悪している人を見かける。*1 彼らが真に意図するところは正直よく分からないし、通常の意味でのファッション業界に対して失礼だとも思うのだが、恐らくは「哲学をやっていると言いつつ、趣味として適当に流して済ませる怠惰で欺瞞的な奴が鬱陶しい」くらいの意味かと思う。

彼らに言わせれば、私は恐らく"ファッション"で哲学をやっているタイプに含まれる。そんな私がそもそもなぜ哲学を学んでいるのだろうということが気になったので、少し整理してみる。ある程度に一般的かつ具体的な理由を示すことができる気がしており、せっかくなので私の元々のバックグラウンドの経済学と比較しながら、その理由を述べます。

① 参入障壁の低さ

まず、率直に述べると哲学は経済学よりも学びの参入障壁が低い。これは哲学を"究める"ことが経済学を"究める"ことよりも簡単だということではなくて、学びを始めやすい環境がより整っているということである。具体的には以下の理由によると思われる。

新書/文庫/選書などに安価な一般書が多い、一部では本格的に入門できる

良質とされる哲学関連の一般書は多い。例えば近代くらいまでの有名な哲学者について知りたいという場合、その哲学者の名前で検索すればロングセラーであったり評判のいい新刊であったりする入門書が大体ヒットする気がする。現代哲学についても、ここ数年だけでも色々な入門書が次々と出続けている印象がある。これらの書籍は内容的に読みやすいことに加えて、比較的安価でお財布的にも手に取りやすく、参入障壁が低い。

もっと言うと、経済学と比較して、哲学の一部の入門書についてはかなり本格的に入門できるという大きな利点がある。経済学の一般書も決して少なくはないし、ロングセラーも評判のよい新刊もある。しかし、本格的に入門するにはどうしても込み入った数式や統計手法の説明をする必要があるので、紙面の限られる新書・文庫・選書といった媒体で刊行することが難しくなる。*2 結果として、本格的に入門するにはきちんとした教科書を読むしかないのだが、込み入った数式・証明や統計手法を独学で追うのは中々骨が折れるし、さらには学部レベルの教科書でも1冊3,000円くらいはするので、内容的にもお財布的にも手に取りにくく、参入障壁が高くなる。更に院レベルの教科書になると洋書に当たらなければならない場合が多く、そうなると更に労力と金銭コストがかさんでしまう。

英語圏の教科書が薄めで通読しやすい

経済学でよく使われる英語圏の教科書は600-1000ページくらいで、通読が容易ではない。授業を受けながら1-2年をかけて1冊読む、もしくはチャプターを選んで読むことがほぼ前提になっていると言って良いだろう。こういった本を全く関係ない日々の仕事をしながら1人で読み進めるのは中々につらい。かつ概ね高額(1-3万円程度)なのでお財布的にもつらい。

哲学の教科書や研究書は(正直あまり数多く見ているわけではないが)洋書でも500ページ以内に収まっていることが多い気がする。ページ数が少なければ簡単という話では全くないだろうし、その分何冊か読むことになるのだろうが、心の持ちようというか、これなら通読できるかも!という気持ちを持ちやすい。ページ数が少ない分だけ平均して安価でもある(1万円前後ほど?)。全く関係ない仕事をしながら、趣味としてやる分には、内容的にもお財布的にも丁度よいくらいの負荷ということになる。*3

※哲学を学ぶにあたり教科書を読むことにどれほどの重要性があるのかはよく知らない。経済学を勉強するに当たって、(論文で学ぶ前段階として)英語圏の教科書を読むことはかなり重要だと思うが、哲学では研究書を読む方が主流?なのかもしれない。ただ、研究者でもないのに研究書を上から下まで読むのもというのもどうなのだ、まずは教科書を読む方が現実的ではないか、という話があると思う。

② 持続可能性の高さ

哲学の特徴として、入り口がよく整っているだけではなく、その後の学びを持続しやすい性質があると思われる。

コンテンツが大量かつ幅も広いので飽きにくい

哲学はなんだかんだで2000年以上の歴史がある分野なので、コンテンツが大量にある。さらには、やられていることも時代や地域や人によって全くと言っていいほど異なるので、バラエティに富んでいる。学んでいて飽きがこないので、継続しやすい。

一方で経済学では、方法論がかなり固定化されているため、どこまでいっても最適化問題を解いたり業界でよく使われる手法で実データを分析したりと似たようなことがやられている。古典を読むという慣習も基本的にはなく、過去のものは過去のものとしてあまり読まれることはない。現代の経済理論の蓄積は長く見積もってもせいぜい100年程度であり、あまりバラエティに富んでいるとは言えない。〇〇経済学という名前のついた分野自体は多々あるにしても、その本質的な部分(定式化や統計手法など)はどこでも共通している為、どれも似たり寄ったりに感じやすく、結果として飽きやすい。

緊急性が低く、気楽に続けられる

哲学を趣味として学んでいる中で、「この部分を明日までに理解する必要があるのに、どうしても分からない」ということでストレスを感じることは滅多にない。何らかの哲学的議論が理解できないところで日常生活に大して支障はないため、自分のペースで理解を進めれば良く、学びを気楽に継続しやすい。

一方、例えば仕事のための勉強であれば、理解できていない事項をそのまま放置しておくと仕事上のミスに繋がり、自分の評価・月給が下がるという目に見えるリスクがある。人間は一般的にリスク回避的であり、リスク回避的な人間にとって、コントロールできるリスクは顕在化しない内にどうにかしたいものである。つまり、分からないことを早期に理解しなければならないという緊急性が高い。その分だけ、勉強自体にストレスがかかるため、勉強を継続する心理的コストが大きい(したがって早く勉強を終わらせたくなる)。

経済学については、研究者でなければあまり学びの緊急性は高くないと言える一方、「経済学を学んだと言うからには知っていなければならない常識」というようなものがあり、それらをイマイチ理解できなかったり思い出せなかったりして度々見返さなければならず、ストレスを感じるということがそれなりにある。しかも、そういった内容は、最新の議論を把握するために必要という訳でもなく、むしろ全く紐付かないという場合すらあり、学びのモチベーションを減退させる(ミクロの一般均衡理論などはその典型)。

③ 同好との交流のしやすさ

さらに哲学コミュニティの特徴として、インターネットでの交流が盛んという点があると思われる。

対話相手が多い

哲学の議論の多くは自然言語で行われるため、SNSやブログでの情報発信に適している。哲学研究者や自分と同じように哲学を学んでいる人々が、ちょっとした思索や研究内容を語っていることを度々見かけることがある。日々の中で哲学に触れているという感覚を得やすく、なにより情報収集がしやすい。この事が学びのモチベーションの維持に繋がる。

一方の経済学では、先程も述べた通りきちんとした議論をするには込み入った数式や統計手法を導入する必要があるが、これは少なくともSNSでの情報発信に適していない。更に言うと、率直に言って経済学には"敵"が多く、インターネット上で議論をすることそれ自体、思わぬところから攻撃を受けるリスクがあることが否めない。結果として、SNSの経済学者たちは研究について積極的に議論をすることをあまり好まない。自称経済学に詳しい人達についても、対話相手としてどこまで信頼できるかの判断がSNS上では難しい。こういった状況なので、同好の士との気軽な交流がしづらく、情報収集もしにくい傾向にあると思われる。

 

最後に

上記のことを考慮すると、哲学を趣味とするというのはむしろ自然な流れなのではないかとすら思えてきます。今現在、信頼できる同好の方を探しています。代わりに経済学をある程度教えられますので、ご興味のある方、ご連絡を頂けますと幸いです。

*1:こう書くと、そもそも哲学を学ぶということはできない、というカントの言葉を借りたマウントを取られることもあるので注意。哲学はこうしたしょうもない行為のためにあるのではないと思うのだが。

*2:全てがそうではないとは言えど、多くのこういった媒体の経済学の一般書はそこら辺を上手く誤魔化していて、一般書に限らずそういうコンセプトで書かれた教科書もある(マンキュー経済学など)。

*3:Stanford Encyclopedia of Philosophy といった、かなり良質なフリーアクセスの資料も存在する。