この記事では、「経済学による予測の難しさ」について語っていきます。
先日友人からこのテーマについて質問されたのをきっかけに、改めて自分の考えを整理しておこうと思い、書いてみました。
経済学を一通り勉強した人間はこんな事を考えていますよ~くらいに読んで頂ければと思います。
それではいってみましょう!
1. 経済学は予測に全く興味がない訳ではない
まず、「経済学は予測に興味がない」というよくある誤解を解いておきたいと思う。
伝統的な方法として、例えばVector auto-regressive (VAR) modelによるマクロ経済予測がある。VAR modelは時系列分析モデルの1つで、相互依存的な複数の時系列変数の関係を分析するのに適している。
マクロ経済変数の関係性を推定する事で、未来の経済変数の動きを予測することが出来る。以下は発展的なVAR modelによる予測手法についての論文だ。
直近では、コロナウイルス感染症の新感染者数予測がある。以下は東大の経済学者チームによる感染者数のシミュレーション予測だ。
一方で、こうした経済学的手法による予測はもちろん完全ではなく、どの程度の予測力を持つのかを把握するのも容易ではない。次に、その理由を考えていこう。
2. モデルにない事は予測できない
結論から言うと、経済学が予測に弱い大きな理由は、モデルによる分析を基礎としている事だと考えられる。
経済学は経済・社会を分析するために、数式によるモデルを作る。モデルは現実の経済・社会の近似として扱われる。モデルによる分析結果を、業界では「均衡」という。
現在では主流となっている動学マクロ経済学でも同様に、まずはマクロ経済モデルが作られる。モデルには、需要ショック・生産性ショック・その他様々な確率的ショックの存在が含められる。そして、実際にそうした確率的ショックが起こった場合に、「均衡」においてマクロ経済変数がどのような動きをするのかをシミュレーションで予測する。
ここで重要な事は、(極めて当たり前な事ではあるが、)モデルに含まれていない現象・ショックによる影響は、上のようなモデルによった分析では予測できないという事だ。
経済学を使って金融危機の発生を予測するとしよう。予測の流れは以下の通りとなる。まず経済モデルを作る。このモデルに様々なマクロ経済変数と様々な確率的ショックを組み込む。そして、シミュレーションにより「均衡」で金融危機が起こる可能性があるか否かを見る。
仮に、10000回のシミュレーションの結果、金融危機が起こった回数は全体の約0.2%で、その可能性はかなり低いと予測されたとする。この予測は正確だと言えるだろうか?
察しの良い方はもうお分かりだろう。もし仮に、モデルの外で、金融危機を引き起こす可能性を秘めた現象が別に存在する場合、上のような分析は金融危機を正確に予測できない。
このようなモデル化(or 定量化)できない不確実性の事を業界では「ナイト流不確実性」という。
現実の経済・社会は経済モデルとは比べ物にならない程に複雑だ。経済学者もこれを良く理解している。
経済学を使って金融危機を予測しようとするというのは、「神のみがその存在を知っている未知の現象が起こり得る環境で、物体の運動を単純な力学モデルで予測しようとする」ようなものだ。そんな事は常人ならばやろうとは思わないだろう。
経済予測の話題となると、エコノミストとかいうよく分からない肩書きを持ったよく分からない人達が、よく分からない方法で経済効果とかいうよく分からない指標を試算しがちである。
しかしながら、経済学者よりも彼らの方が却って予測を上手くできている(ように見える)。これは、経済学者の用いるモデルによる分析という手法が、ナイト型不確実性にあふれた現実の経済の動向を予測する事には向いてないからだ。
3. モデルによる分析を捨てるのは得策ではない
「モデルによる分析がダメなら、モデルを捨てればいいじゃない」と思われるかもしれない。しかし、以下の理由で、そうとも言い切れない。
経済学はこれまで、経済・社会を分析するためのツールとして、ゲーム理論や計量経済学といった手法を開発してきた。
これらの分析手法は、今現在では政治学・経営学・会計学・社会学といった他の社会科学の分野に輸入され、それぞれの分野でもはや標準的な手法となっている。以下のような書籍はそのほんの一部だ。
これは、経済学が開発してきた手法が、「社会を科学する」ための標準的なツールとして受け入れられつつある事を示唆している。
政治哲学や理論社会学といった各分野における伝統は、ゲーム理論を応用する数理政治学や計量経済学の手法を応用する社会学研究などにとって変わられつつある。
自然言語を用いる伝統的な分析手法は、恐らく現在では「社会を科学する」ための標準的な手法とはあまり考えられていないだろう。
経済学が他の分野より優れているとか、経済学は万能なツールであるとか、そういう事が言いたいのではない。
私が言いたいのは、経済学は現状、多くの社会科学分野の基礎として受け入れられていて、かつ他に代替となりうる科学的手法はないという事。したがって、現状ではあくまで暫定として、経済・社会を科学的に分析するためには、経済学の手法を使うのが最も適当と考えられるという事だ。
経済学のモデルや実証研究に基づく政策提言は、そのモデルに誤りがあったり、データに偏りがあったりすれば、当然誤っている可能性が高い。
ではその一方で、モデルや実証研究に基づくもの以上に信頼性が高いと言える政策提言の方法は現状果たしてあるのだろうか?
4. 必要なのはモデル自体を評価する手法
私が今後の経済学に必要なのは、モデルによる分析を放棄する事ではなく、モデル自体を評価するための手法を開発する事だと思う。
ざっくり説明すると、以下のような事を言えるようなものだ。
「このモデルは、その分析対象の約〇〇%をモデルの中に組み込めている。」
例えば、ゲーム実験を念頭に置いたモデルであれば、分析の対象としたい環境のうち、人々の認識・思考能力の他は全てモデルに組み込めているから、分析対象の約70-80%(今ここの数値は適当)をモデルに組み込む事が出来ている、といった具合だ。
これが出来るようになれば、実験データを多く集める事によって、例えば「人々の合理的行動を仮定すると、分析の対象とする環境の約〇〇%を平均として捨象する事になる」というような事が言えるようになるのではないだろうか。
これは、良くある統計モデルの評価とは大きく異なる。統計モデルの評価は、多くの場合そのモデルの予測精度の高さを基準とする。しかしここでの評価基準は、そもそもモデルが分析対象である現実をどれほど近似できているかという点だ。
「予測どの程度可能なのか」という議論ももちろん大変重要だと思う。しかし、その前にまず、現状使われているモデルがどの程度分析対象に近いものとなっているのかという事をはっきりさせる定量的な手法が必要なのではないだろうか。
これは、環境の統制が容易で、実験結果の解釈が難しくなく、したがってモデルの予測力を直接の評価基準とできる自然科学にはない視点だが、環境の統制が難しく、実証分析の解釈が難しく、モデル化の際に分析対象を大きく捨象せざるを得ない社会科学では極めて重要な視点だと思う。
今後、経済学が本当の意味で信頼性を得るためには、こうした方向性の研究が避けられないと思う。