(終わりがいつになるのか分からないが)『ルールに従う』の読書メモを残していく.
本書は, 現代経済学および哲学史・現代哲学の双方の広範な基礎知識がないと読み進めることが難しく, ハードルが高い. どちらかのバックグラウンドを持つ方にとって助けとなるであろう注釈をなるべく付けていく.
本文およびページ番号は以下を参照する.
今回は, 日本語版の序文についてまとめる.
序文の要旨は2つである. 1つ目は本書の前半の要旨と対応しており, 2つ目は本書の後半の要旨と対応していると理解してよいと思われる. なので, ここを注意深く読んでおくと, 本書全体の理解がより容易になるはずである.
まずは1つ目の要旨から見ていく.
要旨①
- ルール遵守は, 他の動物と比較しても際立つ, 人間の社会的行動の最も重要な特徴である.
- ところが社会科学者, とりわけ経済学者は, ルール遵守という現象を正真正銘のものとして認めることを忌避してきた.
- 彼らは, 意思決定を最適化問題として扱うモダンな方法論に誘導された結果,(ルール遵守という)最適化ではない行為を, 最適化として扱う強い欲求をもった.
- しかし, 彼らが扱うような社会科学における形式的なモデルにルール遵守を導入することができないという根拠はない.
ヒースはまず, ルール遵守を人間の社会的行動の最も重要な特徴と位置付ける. さらに, わざわざ「人間の」と述べられている通り, ヒースにとって, ルール遵守は「他の動物とは異なる」人間の社会的行動の際立った特徴である. 人間を動物種として見た場合に, ルール遵守という道徳的・規範的行為が, 他の動物との最も大きな違いとして浮かび上がる, ということである. *1 *2 ヒースは以下の通り述べている.
公平な観察者であれば容易に, 人間の社会的インタラクションを他の動物のそれと比較する時, ルール遵守が人間の社会的行動のもっとも重要な特徴であるという結論に至るだろう (p.iii)
一方でヒースは, 社会科学者(とりわけ経済学者)たちには人間の社会行動におけるルール遵守を無視するか, 誤って解釈してきたと指摘する. それはかなりざっくり言うと, 「人間がルールに従うのは彼らにとってその方がよいからであり, ルールを遵守するため"だけ"に最も選好する結果を選ばないということはありえないだろう」という考え方である. 更にその背景として, 意思決定を最適化問題として定式化する20世紀以降の現代的な方法論*3 による影響があった, と指摘する.*4
ルール遵守が課す最重要の課題は, ルールに従う限りにおいて, 人々がもっとも選好する結果について最大化しないだろうということ (p.iv)
明白なルール遵守のあらゆる事例はないものとして説明でき, 合理化できると信じたいという強い欲求があった (p.iv)
その背景には, 明らかに最大化していない行為形態を最大化として扱うという, 方法論的に誘導された強い欲求があった (p.iv)
ここで個人的に気になる点を述べておく. 経済学者たちによるルール遵守という現象を認める事への忌避は, 最適化という方法論によって誘導されている, という指摘はある程度妥当性があると思われる. 一方で, それが経済学者たちの「欲求」に基づいていたかは定かではない. 「ルール遵守を意思決定モデルに導入すべきか」という問いは, 意思決定問題の定式化に関する規範的な問いである. したがって, 経済学者たちは「どうしたいか(欲求)」よりも「どうあるべきか(規範)」に基づいて定式化の判断をしていると考えた方が自然に思われる. 例えばオッカムの剃刀という方法論的規範があるように, 経済学者たちには経済学者なりの方法論的規範があり, 彼らそれに従っているだけではないか, ということある. *5 モデリングの妥当性についての議論は標準的なゲーム理論の教科書や公刊論文ではわざわざ記述されないため, もっぱら教科書や公刊論文でゲーム理論に触れる(分野外の)研究者に伝わりにくいという背景がある気がする.
ともあれ, ヒースはそうした欲求ないし規範には根拠がないと主張する. そして, 本書の前半の目標について以下のように述べている.
最初の3章において私が着手したのは, 行為の経済学的モデルが, ルール遵守を表現し, 取り入れるためにどのように修正できるのかを示すこと (p.v)
私の主要な目標は単に, ルールがそれほどエキゾチックなものではないという事を示すこと, そしてルールを導入することが社会科学におけるフォーマルなモデル化におけるわれわれの能力を阻害すると恐れる理由がないことを示すだけのこと (p.v)
ここまでが1つ目の要旨の内容である.
続いて2つ目の要旨を見ていく. 本書の後半に対応するこちらの方がより重要な主張である.
要旨②
- 実践的推論においては, ルールの導入により, 信念と欲求の単純な組み合わせ以上のことが起こっている.
- 合理性は, それ自身でルール遵守能力の一種である.
- 「自分にとってより悪い結果をもたらすとしてもルールには従う」という奇妙さは人間の認知の深いところで作用しており, 人間の合理性の一部である.
まず用語を確認する. 実践的推論(practical reasoning)とは, 実践理性(practical reason)が働くこと、ないし実践理性の働きにより推論をすることである. そして実践理性とは, 「何を行うべきかという問いを, 内省を通して解決するための人間の一般的能力」のことである. *6 *7
ヒースは, この実践理性の働きによる意思決定プロセスの中で, 信念と欲求という現代の標準的な行為モデルが想定するシステムとは別に, ルールという別個のシステムがどこかで作用していると主張しているのである.*8
さらにヒースは, 信念と欲求についても下記の通り主張する.
- 信念と欲求は命題的態度であり, その構造において本質的に言語的である. (p.v)
この主張の内実については序文では述べられていないので本文を待つしかないが, 取り急ぎ「信念と欲求はどちらも, 命題として記述することができるような人間がとりうる態度のことである. 命題は言語的構造(構文論・意味論など?)を有しているので, 信念と欲求も同様に言語的構造をその本質として有している」くらいに解釈しておく.
このように考えると, 「信念と欲求などの状態についてよりよく理解するために言語哲学に目を向ける」(p.v) のがよいだろうということが分かる. ヒースは, 後期ウィトゲンシュタインの議論を示唆しつつ, 以下の通り述べる.
- われわれが意味のある言語行為をする能力は, われわれのルール遵守能力を前提としている. (p.v)
ここで意味のある言語行為*9とは, 意味のある発話をしたり, 意味のある思考を持ったりする行為一般のことである. (p.v) ルール遵守能力をもつことは, 意味のある言語行為をする能力をもつことの条件である, とヒースは述べている.
ところで, 信念と欲求は命題的態度であり, 本質的に言語的なのであった. そうすると, 意味のある信念と欲求をもつこともまた, 意味のある言語行為の一種であろう. さらに, 信念と欲求は実践的推論の構成要素の一部であるから, ルール遵守能力は, 実践理性を働かせる能力の条件でもあるということになる. このようにして, ルール遵守能力こそが, 理性(合理性)*10の背後にあるのだという結論が導かれる. これがヒースの主張するルール遵守と合理性の内的関係である, とここではざっくり理解しておく.*11
さらにヒースは, もう一歩進んで以下のようにも主張している:
このことはさらに, ルールに従うことがわれわれの選択することであるばかりでなく, 合理的存在としてのわれわれの本性の一部でもあるかもしれない事を示唆している (p.v)
最後に, 何故わざわざこのような論証をするのかについてもヒースは述べている.
私の目的は, ルール遵守のこの特徴 [記事注: 自分にとってより悪い結果をもたらすとしてもルールに従うこと] が奇妙であると認めること, しかし, この奇妙さは人間の認知の深いところで作用しており, 実際, 人間の合理性に大して構成的な構造の一部をなしていると論じること (p.vi)
「自分にとってはよくない結果になろうが, ルールには従う」という現象は確かに奇妙である. しかし, この奇妙な現象は実際に起こっているのであり, (今まで社会科学者・経済学者たちがそうしてきたように)それを信念と欲求のみに還元して説明したり, ただ不合理性として片づけたりするべきではない. それはあくまで合理性の一部として理解されるべきものなのである, というのがヒースの意図するところであろう. *12
ここまでが2つ目の要旨の内容である.
参考文献
白川晋太郎 (2021)『ブランダム 推論主義の哲学 -プラグマティズムの新展開-』青土社.
ヒース・ジョセフ (2013) 『ルールに従う -社会科学の規範理論序説-』瀧澤弘和訳. NTT出版.
御子柴善之 (2024) 『カント 実践理性批判』KADOKAWA.
Wallace, R. Jay and Benjamin Kiesewetter, "Practical Reason", The Stanford Encyclopedia of Philosophy, Edward N. Zalta & Uri Nodelman (eds.),<https://plato.stanford.edu/entries/practical-reason/>. 2024/8/24 accessed.
*1:経済学サイドへの注釈: 何故わざわざ人間を他の動物と比較するのか不思議に思われたかもしれない. ヒースはここで, 「自然主義」という哲学的立場を念頭に置いていると思われる. 自然主義とはざっくり言うと, 哲学と科学の連続性を重視しつつ, 道徳や人間本性などの哲学的問題を自然科学的根拠と整合的に議論しようとする立場である(方法論的自然主義という). 認知心理学や進化生物学などの研究を参照する自然主義哲学者にとって, 人間はある生物種としての傾向性を持った動物の一種であるという事実はとても重要なのである.
*2:これは強めのコミットメントだが, ロバート・ブランダムの推論主義プログラムの背景にある, 人間を「理性的存在者」として捉える合理主義的人間観に影響を受けていると思われる. 「ブランダムは人間と他の動物との差異に注目し, そうした差異を成り立たせるものとして, 「理由の空間」の内に住む規範的な存在か否かという点に注目する. 理性的存在者としての私たちは, 「理由の空間」に住んでおり, 「理由を与え求めるゲーム」としての規範的な「言語的実践」を営んでいる」(白川2021, pp.79-80) また, 後々分かることだが, ヒースはブランダムの反表象主義の徹底にも影響を受けている.
*3:哲学サイドへの注釈: 意思決定理論のフォーマルな内容をざっくり理解しておいた方が良いと思われるのでここで記載する. ①単純な意思決定問題はまず, 1. 選択肢の集合 2. 選択肢の集合上の選好関係 の2つで定式化される. ここで選好関係とは, 意思決定者が持つ各選択肢の好みの順序を表現するものである. ②次に, 選択の帰結に危険 (risk) がある場合には, 意思決定問題は I. 帰結の集合, II. 帰結の集合上の確率分布, III. II.の確率分布上の選好関係 の3つで定式化される. このときII.の確率分布は, モデルで外生的に与えられているという意味で「客観的確率」であり, この場合を定式化したのはジョン・フォン・ノイマンとオスカー・モルゲンシュテルンである. ③さらに, 選択の帰結に不確実性 (uncertainty) がある場合には, 意思決定問題は a. 状態の集合, b. 帰結の集合, c. 各状態にある帰結を与える行為の集合, d. 行為の集合上の選好関係 の4つで定式化される. この場合を定式化したのはレオナルド・サヴェッジであるが, さらに拡張された定式化もある. 上記のいずれを扱うにせよ, 意思決定理論は, 何らかの好みの順序の表現である選好関係に, いくつかの満たすべき仮定(公理という)をおくことで, それらを満たすような選好関係を表現する, 実数値の効用関数の存在と一意性を示すことを目指す. そうすることで, 選好関係に基づく意思決定問題を, それと完全に対応する, 数学的に扱いやすい効用関数の最大化問題として書き換えるのである. ちなみに, ①ではある実数値効用関数, ②では期待効用関数, ③では主観的期待効用関数の最大化問題にそれぞれ書き換えられる.「効用関数はどこからかポッと出てくるものではなく, 背後にある何らかの選好関係を表現したものである」という理解が非常に重要であるとともに, 「目の前の効用関数が何の集合上の選好を表現しているのか」を常に意識するのがコツである.
*4:原著では「最大化」という語彙が用いられているが, ここでは「最適化」とする. 最大化問題は最適化問題の一種であり, 両者は本質的には何も変わらない.
*5:その規範が分野の外側から見ると奇妙であり批判に晒されるに値する, ということは当然あり得るだろう.
*6:"Practical reason is the general human capacity for resolving, through reflection, the question of what one is to do." <https://plato.stanford.edu/entries/practical-reason/> 2024/8/24アクセス.
*7:経済学サイドへの注釈: われわれは日頃の意思決定において, 何らかの思考プロセスを通して, 諸々の行為をするべきかするべきでないかを判断しているはずである. その思考プロセスにおいて働いているのが, 実践理性と呼ばれるものである. エマヌエル・カントは, 『実践理性批判』において, 次のような(純粋)実践理性の根本法則を打ち立てた.「君の意思の格率が, いつでも, 同時になんらかの普遍的な立法の原理として妥当し得るような, そのような行為せよ」(御子柴2024, p.105)カントは, これが(純粋)実践理性によってわれわれに与えられる意思規定基準であるとともに, 普遍的な道徳的法則の根拠でもあると論じた.
*8:したがってここでのヒースの議論は, カントの実践理性論の擁護の一つのタイプである.
*9:どのような意味論にコミットしているかはこの時点では不明であるが, 後期ウィトゲンシュタインに言及していることから, 使用説(経済学サイドへの注釈: 文・語の意味は, その文・語が社会的文脈でどのように使用されるかによってのみ定まるという, 言語哲学における考え方. ルートウィヒ・ウィトゲンシュタインの後期の主著『哲学探究』にそのルーツがあり, ロバート・ブランダムもこの考え方をある形で踏襲している)を支持していると推測ができる.
*10:ヒースはこの後の章で実践理性(practical reason)という語彙をあまり用いずに, 実践的合理性(practical rationality)という語彙を主に用いている. 2つの語彙を使い分けている理由はこの時点では正直よく分からないが, 取り急ぎ同じものと解釈しておく.
*11:なお, これはいわゆる超越論的論証の一種である.
*12:本文p.66にこの論点についての記載がある.
