エコノミック・ノート

経済学を正確に分かりやすく。あと数学、読書とか。

【行動経済学】M均衡: ゲーム理論のブレイクスルーとなるか?【ゲーム理論】

非常に興味深い論文を見つけたので, ここでシェアします.

www.aeaweb.org


以下はアブストラクト(ハイライトは私による).

We introduce a set-valued solution concept, M equilibrium, to capture empirical regularities from over half a century of game theory experiments. We show M equilibrium serves as a meta theory for various models that hitherto were considered unrelated. M equilibrium is empirically robust and, despite being set-valued, falsifiable. Results from a series of experiments that compare M equilibrium to leading behavioral game theory models demonstrate its virtues in predicting observed choices and stated beliefs. Data from experimental games with a unique pure-strategy Nash equilibrium and multiple M equilibria exhibit coordination problems that could not be anticipated through the lens of existing models.

要は「実証との乖離という半世紀にわたるゲーム理論の問題を解決する理論を構築しました!!」と書いてある. すごそう.



これだけでは分からないので, もう少し中身を見てみる.



まず, イントロで指摘されている事は以下の通り.

1. ナッシュ均衡による行動の予測はぶっちゃけダメ.
2. 人々は自分が報告した信念(belief)をもとづいて最適応答をしてない.
3. しかも, ナッシュの暗黙の仮定と裏腹に, 人々の持つ信念は大体間違ってる.
4. 上の3つは多くの実験研究で分かったよ.



著者の少なくともどちらかは実験経済学者なのだと察するが, ボロクソである.

 

 

ただ, この指摘は多くの経済学者もある程度納得している事だと思う. こうした欠点がある事の承知の上で, 我々は出来る事をやっているんだというのが多くの経済学者に共通するスタンスだろう.


この論文の凄い所は, 多くの経済学者が納得の上で妥協してきた上のような問題を, 何とかして解決に向けてアプローチしようとした点だ. いつかはやらなければと思う人間はたくさんいても, それを実際にやってのけてしまう人間は1%にも満たないだろう.


さて, じゃあこの論文は何をしたのか?まとめると, 以下のようにナッシュ均衡の前提を弱めた均衡概念を提案した.

(i) Monotonicity: Choice frequencies are positively but imperfectly related to expected payoffs based on beliefs, i.e., players “better respond” but do not necessarily best respond.

(ii) Consequential Unbiasedness: Beliefs may be biased but they induce the same ordering of expected payoffs as the observed choices do.

(iii) Set Valued: Belief and choice predictions are set valued with predicted choices being a subset of predicted beliefs.

 

(i)のMonotonicity(単調性)は, ナッシュ均衡最適応答(best responce)の前提を弱めたものだ. "Best"である代わりにある意味で"少なくともbetter"である事を要請する.

(ii)のConsequential Unbiasedness(帰結的不偏性?)は, ナッシュ均衡の正しい信念(correct belief)の前提を弱め, 代わりに一定程度のバイアスを許すものだ.

(iii)のSet Valuedはそのままで, 点ではなく集合で均衡を定義するという事だ. ナッシュ均衡は正確にはナッシュ均衡点(Nash equilibrium point)といい, 戦略空間上の点として定義される. M均衡では, (i)(ii)で弱い前提を受け入れた結果, 点として定義するのでは不十分で, 集合として定義する必要が生まれるとの事だ.*1



最後に, M均衡のフォーマルな定義を書いておこう.


……と思ったけど思ったよりゴチャゴチャしててTexで打つのが面倒なので, そのうちに改めて更新します.






参考文献

Goeree, Jacob K., and Philippos Louis. 2021. "M Equilibrium: A Theory of Beliefs and Choices in Games." American Economic Review111 (12): 4002-45.


*1:ゲーム理論創始者の一人とされるノイマンは, ナッシュ均衡をあまり良く思わなかったという言い伝えがある. その理由の一つが, ノイマンが人類最初に定義した均衡概念である安定集合と違って, ナッシュ均衡が点で定義されていたからだと言われている.

【Rコード付き】計量経済学の無料の講義ノート・PDFまとめ

計量経済学講義ノートなどをまとめています。
順次更新予定。情報をコメントで頂けると大変助かります。

 

 

計量経済学修士レベル)

 

早稲田大学 星野匡郎 先生によるもの。
100ページ程度で基本定理+広範なトピックの触りをカバー。Rコード付き。

github.com

 

ウィスコンシン大学 Bruce E. Hansen 先生によるもの。
1000ページ程度で(機械学習を含む)計量経済理論のすべてをカバー。世界標準。

www.ssc.wisc.edu

2023.08.16 追記:
下記の通りPrinceton University Pressから発売された為、web上のpdfは非公開となりました。

Econometrics

Econometrics

Amazon

 

ベイジアン計量経済学

 

修士レベル。シカゴ大学(当時)Hedibert Freitas Lopes 先生によるもの。 
著名なベイジアン。Rコード付き。

hedibert.org

 

時系列解析

 

MIT Anna Mikusheva 先生によるもの。
修士レベル。講義ノートというよりチートシートっぽい。

ocw.mit.edu

 

ノンパラメトリック

 

京都大学(当時) 末石直也 先生によるもの。
修士レベル。日本語では最高峰レベル(多分)

sites.google.com

 

神戸大学 末石直也 先生によるもの。
学部~修士レベル。ビックデータ解析の基礎をカバー。

sites.google.com

 

部分識別

 

コーネル大学 Francesca Molinari 先生によるもの。
計量経済学ハンドブック掲載。部分識別の解説とサーベイ

arxiv.org

 

因果推論

 

カーネギーメロン大学 David Childers 先生によるもの。
修士レベル。因果推論のトピックを選んで解説。DAGを用いているのが特徴。

donskerclass.github.io

 

コロンビア大学 Michael E. Sobel 先生によるもの。
修士レベル。講義資料ではないが、無料のコース。

www.coursera.org

 

構造推定

 

香港科技大学 川口康平 先生によるもの。
構造推定のトピックを広範囲にカバー。Rによる演習問題付き。

kohei-kawaguchi.github.io

 

ロチェスター大学博士課程(当時)の2名によるもの。
展開型ゲームの構造推定のためのRパッケージ。

github.com

【ゲーム理論】ベイジアン自白剤: アンケート調査のメカニズムデザイン

早稲田大学 国際学術院 教授の石川竜一郎先生(Twitter: @mxb02762)が、noteの記事で「ベイジアン自白剤」を紹介されている。

 

note.com

 

ベイジアン自白剤とは、アンケート調査の質問設定の方法だ。ある一定のスコアリングルールをもとに回答者を評価して報酬を与える事で、回答者がアンケートに正直に回答する事が、ゲーム理論によって保証されるという特性を持っている。

 

ルール自体はとてもシンプルかつユニークなものなので、是非いちど記事を読んで頂きたい。きっとどこかで試したくなるだろう。

 

アンケート調査はビジネスでもなんでも、広く行われている。その一方で、そもそもアンケートの回答の適正性が気にされる事はほとんどない。

 

「Garbege in garbage out」という言葉が示す通り、使うデータの取り方に問題があれば、分析の結果はとても使えるものにはならない。

 

回答か適切になされているかなどどうでもよく、ただよりインパクトのある宣伝のために、見た目だけより良い結果のみが欲しいのであれば、回答者の正直さなどどうでもいい事かもしれない。

 

一方で、アンケート調査の結果をもとに、真面目にビジネス環境を改善し、発展させていく事を考えるのであれば、調査結果の適正性は考慮されるべき問題であるはずだ。

 

ゲーム理論というツールによって調査の適正性を改善するこうした試みは、そうした気概のある意思決定者の心強い味方となってくれるだろう。

【ゲーム理論】「均衡である」よりも「均衡でない」の方が重要?

ゲーム理論の現実への応用について、一つ思い付きがあったので、備忘録的にまとめておきたいと思います。単なる思い付きなので、似たような研究やサーベイがあればご教授頂けると助かります。

 

さて、その思い付きとはズバリ、「○○は均衡である」という結果よりも、「××は均衡でない」という結果の方が、現実での再現可能性が高いのではないか?というものです。

 

もう少し正確に私の思い付きを言い換えますと、「均衡であると示された○○という結果が現実でも観察される」よりも、「均衡でないと示された○○という結果が現実でも観察されない」事の方が、実際には起こりやすいのではないか?というものになります。

 

この直観は、ゲーム理論をある程度ご存知の方ならば、何となく共感できる部分があるのではないかと思っています。

 

この記事では、この直観を少しだけ理論的に掘り下げたいと思います。また、その議論に基づいて、均衡選択の(新たな)問題点について考えたいと思います。

 

ナッシュ均衡による例

ここでは、ナッシュ均衡を例として、直観の理論的説明を試みます。まず、ナッシュ均衡の定義をおさらいしましょう。

 

ゲーム \( G=(N, \{S_i\}_{i \in N},\{f_i\}_{i \in N} ) \) において, 戦略プロファイル \( s^{\star} = (s_1^{\star}, ..., s_n^{\star})\) がナッシュ均衡であるとは, すべてのプレイヤー \( i \in N \) について, 以下を満たすことをいう: 

\( f_i (s^{\star}) \ge f_i(s_i,s_{-i}^{\star}), \forall s_i \in S_i. \)

ここで, \( s_{-i}^{\star}=(s_1^{\star},..., s_{i-1}^{\star},s_{i+1}^{\star},...,s_n^{\star}) \)である.

 

この定義から直ちに分かる事は、以下のような事です:

ある戦略プロファイルがナッシュ均衡である事を示すためには、すべてのプレイヤーについて均衡条件が成り立つ事を示す必要があります。これは、比較的に強い要請であると言えます。さらに、プレイヤーの数が多ければ多いほど、その要請は強くなります。

 

一方、ある戦略プロファイルがナッシュ均衡でない事を示すことについてはどうでしょうか?念のため書いておくと、ナッシュ均衡でない事の定義は以下の通りです。

 

戦略プロファイル \( s^{\star} = (s_1^{\star}, ..., s_n^{\star})\) がナッシュ均衡でないとは, あるプレイヤー \( i \in N \) について, 以下を満たすことをいう: 

\( f_i (s^{\star}) < f_i(s_i,s_{-i}^{\star}), \exists s_i \in S_i. \)

 

つまり、ある戦略プロファイルがナッシュ均衡でない事を示すには、ある1人について均衡の条件が満たされない事を示すのみで良いのです。しかも、プレイヤーの数がどれだけ多くなっても、ある1人ついて示せば良い事は変わりません。反例を示す訳ですから、当然といえば当然です。

 

ここまでをまとめると、以下のようになります。

ある戦略プロファイルがナッシュ均衡である事を示すには、すべてのプレイヤーの均衡条件が成り立つ事を示さなければならない。一方で、ある戦略プロファイルがナッシュ均衡でない事を示すには、ある1人のプレイヤーについて均衡条件が成り立たない事を示すのみで良い。

 

ここで重要な点は、この2つの非対称性にあります。つまり、「ナッシュ均衡でない」事の条件は、「ナッシュ均衡である」事の条件よりも、ずっと弱いという事です。

 

現実での再現可能性

ここまでの議論は、理論的結果の現実での再現可能性についてどのように関係するのでしょうか?

 

筆者はここで、これら2つの話を結びつけるために、一つ大胆なアナロジーをします。つまり以下のようなことを主張します:

 

「均衡である/均衡でない」の区分に関するものと同様の非対称性は、均衡条件のみならず、理論上の結果が現実で観察されるためのあらゆる条件にも存在する。

 

ここで、観察されるためのあらゆる条件とは、具体的には、「すべての人々は利得の最大化と整合的に行動する」「すべての人々は環境(=ゲームの構造)について完備な情報を持つ」等の条件を指します。

 

こうした条件が全て成り立つ事で、「ナッシュ均衡であると示された結果が現実でも観察される」事が成立します。

 

こうした条件は、均衡条件とある特徴を共有します。その特徴とは、「すべての人々(プレイヤー)についてある条件を要請する」というものです。先程の例では、「すべての人々は利得の最大化と整合的に行動する」「すべての人々は環境(=ゲームの構造)について完備な情報を持つ」といった具合です。

 

ここで、先程の「均衡である/均衡でない」の区分に関する非対称性についての議論を思い出しましょう。

 

それと全く同じように考えると、以下の事が主張できます: 

 

均衡であると示された結果が現実でも観察されるためには、すべての人々について理論上の結果が現実で観察されるためのあらゆる条件が成り立つ必要がある。一方で、均衡でないと示された結果が現実でも観察されないためには、ある1人について理論上の結果が現実で観察されるためのあらゆる条件(の一部)が成り立たてば良い。*1

 

より分かりやすくまとめると、

「均衡でないと示された結果が現実でも観察されない」ための条件は、「均衡であると示された結果が現実でも観察される」ための条件よりも、ずっと弱い

 

となります。

 

以上が、最初に述べた直観についての、私個人による理論的な裏付けとなります。


「均衡である/均衡でない」「観察される/観察されない」の条件の非対称性が、そのミソです。理論においてある戦略プロファイルが均衡でないためには、少なくとも1人の誘因についての均衡条件が満たされない事で十分であり、実際においてそれが観察されないためには、少なくとも1人の誘因や知識などの条件について仮定すれば十分だ、という事でした。

 

均衡選択の危険性

最後に、これまでの議論から新たに生まれ得る論点について議論します。その論点とは、均衡選択の危険性です。*2

 

「複数の均衡があるとき、どのように均衡を減らしてなるべく唯一均衡に近づけるか」というテーマは、数十年前には盛んに研究されていました。しかし、ここまでの話を念頭に置きますと、この均衡選択の危険性が見えてきます。

 

その危険性とは次のようなものです。

 

まず、均衡選択をするという事は、採用する均衡により強い条件を課す、という事になります。


これは、均衡条件の要請を強める事に他なりません。さらにこれに伴い、「理論上の結果が現実で観察されるための条件」の要請もより強くなります。何故ならば、「すべての人々が〇〇均衡の条件を考慮して戦略を決める」という条件もまた、「理論上の結果が現実で観察されるための条件」に含まれるからです。


この結果として、「均衡であると示された結果が現実でも観察される」可能性が低くなってしまいます。


一方で、均衡選択により均衡を減らすと、逆に均衡でない戦略プロファイルは増えます。*3このようにして、均衡選択によって新たに均衡でないとされた戦略プロファイルは、いわば「均衡である/均衡でない」の区分の境界に近い戦略プロファイルと考えられます。

 

ここで、こうした境界に近い(が均衡でないとされた)戦略プロファイルは、もともと均衡でないとされていたものよりも、現実で観察されやすいと考えられます。*4

 

しかし、これまでの議論に基づき、もともと「均衡でない」という結果の方が現実での再現可能性が高い(=現実で観察されにくい)と仮定すると、均衡選択の結果、「均衡でない」ものの全体としての再現可能性をかえって棄損しまうかもしれません。


以上の結果として、モデル全体としての再現可能性も低くなってしまう、という事が考えられるのではないでしょうか。

 

均衡を減らす事によってモデルの予測可能性を高める事を目的としていたはずが、かえってそれを棄損してしまうという皮肉な現象です。

 

もしこの現象が実際に起きているのであれば、その原因は、ゲーム理論の研究が「何が均衡であるか」を重要視するという習慣だと考えられます。しかし、ここまでの議論を踏まえて、改めて現実での応用・予測可能性を考えると、「何が均衡でないか」の方がずっと重要な事なのではないでしょうか。*5

 

チェーンストア・パラドックスは、部分ゲーム完全化(subgame perfection)によって消去される戦略プロファイルが実際には観察されやすい、という理論と実際のずれについての(疑似)パラドックスです。モデルの不完備性を組み込めていない事を原因とする事が主流の考え方ですが、私個人としては、このパラドックスの原因は、実はこの節で主張した事によるのではないか、と考えています。

 

この記事は以上です。

ここまで読んで頂き、誠にありがとうございました!

 

 

*1:「一部」とは、例えば、利得最大化の条件については、該当の「ある1人」がそれに基づき行動すれば良く、完備情報の条件については、該当の「ある1人」が持っていれば良い、という事です。

*2:まだしっかりと練られていないので、フワッとした話になってしまっています。ご了承ください。コメント大歓迎です。

*3:正確に言えば、「均衡となる戦略プロファイルの集合を収縮/拡張する」

*4:つまり、境界に近いほど、監察されるかそうでないかの区別が不明瞭ではないか、という事です。

*5:いわゆる「囚人のジレンマ」も、(協力, 協力)という戦略プロファイルがナッシュ均衡ではないという事を主張する、「非均衡命題」の一種です。

【統計学】「仮説検定は反証主義的な手法ではない」らしい

数年ほど本棚で眠っていた戸田山和久先生の『科学哲学の冒険』を読んでいて、ふと「仮説検定の手法ってPopperの反証主義から影響受けてない?」と思い至った。

 

調べた結果、以下の興味深いブログ記事を見つけた。

 

himaginary.hatenablog.com

 

記事は「帰無仮説の検定はPopper流の反証主義的手法ではない」とAndrew Gelmanがブログで書いている事を紹介したものだ。

 

ざっくりまとめると、「研究者が仮説検定を行う時、ほとんどの場合彼らの目的は対立仮説の立証であって、帰無仮説の反駁ではない」というのがその根拠らしい。

 

そもそもPopperの反証主義は、真偽保存的である対偶を用いた推論(modus tollens)を科学研究の柱とし、真偽保存的でない帰納的推論を科学から排除しようとする試みであった。

 

つまり、あるAという理論が正しい場合に、Bという観察が得られると期待出来る場合に、「実証的にBという結果が得られたから、理論Aは正しい」という危うげな帰納的推論をするのではなく、「実証的にBという結果が得られなかったから、理論Aは間違っている」という妥当な推論をしようという提案だ。

 

確かに、もし研究者・実証家が反証主義にのっとって仮説検定を行うならば、彼らが論文で報告すべき事は「帰無仮説が棄却された」事のみであるべきあって、「(帰無仮説が棄却されたため)対立仮説が受容された結果として得られた示唆」であるべきではない。

 

しかし、実際に論文で報告される事は主に後者であるので、仮説検定を用いる研究者・実証家は反証主義にのっとっているのではない、という訳だ(この推論もmodus tollens)。

 

記事を読んで思い出したのが、東大出版の『統計学入門』の有意性検定に関する以下の有名な?記述だ(p.237)。

 

有意性検定は, (帰無)仮説の下でわれわれが期待する結果が生じなかったことを根拠として, 仮説を棄却, 否定することが, おもな内容である. これは論理学では, 背理法といわれているものである. 

 

本では、これが「帰無仮説が棄却されなかった事が帰無仮説が正しい事を必ずしも示唆しない理由」とされているが、今はそこについて議論しない。

 

論理学者から見れば、仮説検定を背理法の一種とする事には多少の違和感があるのではないかと察するが、それは一旦置いておいてこの記述を認めると、仮説検定の推論的基礎は背理法であって、modus tollensではない。

 

実際にそれぞれの手順を書き下すとより違いがはっきりする。

 

反証主義による反駁の手順は以下の通りだ:

1. 理論Aを仮定し、観察Bを推測する(A, A→Bを仮定する)。

2. Bの真偽を観察(実験・データ分析など)によって判断する。

3. Bが偽であれば、理論Aを反駁する。それ以外は何もしない。

 

仮説検定の推論の手順は以下の通りだ: 

1. 得られた無作為サンプルxから検定統計量T_xを計算する。

2. T_xが予め設定した棄却域に入るかを見る。

3. 棄却域に入っているならば, H_0を棄却し対立仮説H_1(not H_0)を採択する。

 

雑にアナロジーを用いると痛い目を見る事が分かる話だった。

 

 

参考文献

1. 東京大学教養学部統計学教室 編『基礎統計学I 統計学入門』東京大学出版会, 1991.

2. 戸田山和久『科学哲学の冒険 サイエンスの目的と方法をさぐる』日本放送出版協会, 2005.

3. 前原昭二『記号論理入門(新装版)』日本評論社, 2005.

 

【金融工学】伊藤の補題の(雑な)証明とオプション価格式・グリークスの導出

伊藤の補題の雑な証明と, オプション価格式の導出のノートです. グリークスについてもいくつか導出を載せています.

 

コール・オプションの価格式の導出は教科書などに良く書かれていると思うので, あえてプット・オプションの価格式の導出を書いています. グリークスも同様です.

コール・オプションのものも、ほぼ同じ方法で導出可能です.

 

言語は英語です.

 

 

 

参考文献はpdfに記載しています.

【ゲーム理論】ギバード=サタースウェイト定理の証明

ギバード=サタースウェイト定理(Gibbard–Satterthwaite theorem)の厳密な証明です. 

 

なお, 途中で言及されるFigureは, 参考文献の該当箇所pp.292-296にあるものを指していますので, お手数ですが参考文献を手元に置きながら読んで頂ければと思います.

 

言語は英語です.

 

 

 

 

 

参考文献

Jehle, G. A., & Reny, P. J. (2011). Advanced Microeconomic Theory (3rd ed.). Financial Times/Prentice Hall.

 

【ミクロ経済学】アローの不可能性定理(アローの定理)の証明

アローの不可能性定理(アローの定理)の厳密な証明です. 言語は英語です.

 

 

 

 

参考文献

Jehle, G. A., & Reny, P. J. (2011). Advanced Microeconomic Theory (3rd ed.). Financial Times/Prentice Hall.

 

ノーベル賞受賞者が選ぶ!金融危機を理解するための必須文献5選

 

fivebooks.com

 

上のインタビュー記事で、金融危機に関する古典的な論文・書籍が紹介されています。

 

紹介しているのは、2007年にノーベル経済学賞を受賞したEric Maskinです。記事では、以下の5つの文献が紹介されています。

 

1. Bank Runs, Deposit Insurance and Liquidity (Journal of Political Economy, Vol. 91, No. 3, June 1983)  

by Douglas Diamond and Philip Dybvig

 

2. Private and Public Supply of Liquidity (Journal of Political Economy, Vol. 106, No. 1, February 1998)

by Bengt Holmstrom and Jean Tirole


3. The Prudential Regulation of Banks

by Mathias Dewatripont and Jean Tirole


4. Credit Cycles (Journal of Political Economy, Vol. 105, No. 2, April 1997)

by Nobuhiro Kiyotaki and John Moore


5. Leverage Cycles and the Anxious Economy (American Economic Review, Vol. 98, No. 4, September 2008)

by Ana Fostel and John Geanakoplos

 

Maskin氏がインタビューの中でそれぞれの文献のエッセンスを語っています。

 

どれも金融危機の分野では絶対に外せない文献である事は間違いないので、皆さんも是非読んで見てください!

経済学が金融危機を予測出来ないシンプルな理由(とその対策)

この記事では、「経済学による予測の難しさ」について語っていきます。

 

先日友人からこのテーマについて質問されたのをきっかけに、改めて自分の考えを整理しておこうと思い、書いてみました。

 

経済学を一通り勉強した人間はこんな事を考えていますよ~くらいに読んで頂ければと思います。 

 

それではいってみましょう!

 

 

1. 経済学は予測に全く興味がない訳ではない

 

まず、「経済学は予測に興味がない」というよくある誤解を解いておきたいと思う。

 

伝統的な方法として、例えばVector auto-regressive (VAR) modelによるマクロ経済予測がある。VAR modelは時系列分析モデルの1つで、相互依存的な複数の時系列変数の関係を分析するのに適している。

 

マクロ経済変数の関係性を推定する事で、未来の経済変数の動きを予測することが出来る。以下は発展的なVAR modelによる予測手法についての論文だ。

 

www.sciencedirect.com

 

直近では、コロナウイルス感染症の新感染者数予測がある。以下は東大の経済学者チームによる感染者数のシミュレーション予測だ。

 

www.rieti.go.jp

 

一方で、こうした経済学的手法による予測はもちろん完全ではなく、どの程度の予測力を持つのかを把握するのも容易ではない。次に、その理由を考えていこう。

 

2. モデルにない事は予測できない

 

結論から言うと、経済学が予測に弱い大きな理由は、モデルによる分析を基礎としている事だと考えられる。

 

経済学は経済・社会を分析するために、数式によるモデルを作る。モデルは現実の経済・社会の近似として扱われる。モデルによる分析結果を、業界では「均衡」という。

 

現在では主流となっている動学マクロ経済学でも同様に、まずはマクロ経済モデルが作られる。モデルには、需要ショック・生産性ショック・その他様々な確率的ショックの存在が含められる。そして、実際にそうした確率的ショックが起こった場合に、「均衡」においてマクロ経済変数がどのような動きをするのかをシミュレーションで予測する。

 

ここで重要な事は、(極めて当たり前な事ではあるが、)モデルに含まれていない現象・ショックによる影響は、上のようなモデルによった分析では予測できないという事だ。

 

経済学を使って金融危機の発生を予測するとしよう。予測の流れは以下の通りとなる。まず経済モデルを作る。このモデルに様々なマクロ経済変数と様々な確率的ショックを組み込む。そして、シミュレーションにより「均衡」で金融危機が起こる可能性があるか否かを見る。

 

仮に、10000回のシミュレーションの結果、金融危機が起こった回数は全体の約0.2%で、その可能性はかなり低いと予測されたとする。この予測は正確だと言えるだろうか?

 

察しの良い方はもうお分かりだろう。もし仮に、モデルの外で、金融危機を引き起こす可能性を秘めた現象が別に存在する場合、上のような分析は金融危機を正確に予測できない。

 

このようなモデル化(or 定量化)できない不確実性の事を業界では「ナイト流不確実性」という。

 

news.mit.edu

 

現実の経済・社会は経済モデルとは比べ物にならない程に複雑だ。経済学者もこれを良く理解している。

 

経済学を使って金融危機を予測しようとするというのは、「神のみがその存在を知っている未知の現象が起こり得る環境で、物体の運動を単純な力学モデルで予測しようとする」ようなものだ。そんな事は常人ならばやろうとは思わないだろう。

 

経済予測の話題となると、エコノミストとかいうよく分からない肩書きを持ったよく分からない人達が、よく分からない方法で経済効果とかいうよく分からない指標を試算しがちである。

 

しかしながら、経済学者よりも彼らの方が却って予測を上手くできている(ように見える)。これは、経済学者の用いるモデルによる分析という手法が、ナイト型不確実性にあふれた現実の経済の動向を予測する事には向いてないからだ。

 

3. モデルによる分析を捨てるのは得策ではない

 

「モデルによる分析がダメなら、モデルを捨てればいいじゃない」と思われるかもしれない。しかし、以下の理由で、そうとも言い切れない。

 

経済学はこれまで、経済・社会を分析するためのツールとして、ゲーム理論計量経済学といった手法を開発してきた。

 

これらの分析手法は、今現在では政治学経営学会計学社会学といった他の社会科学の分野に輸入され、それぞれの分野でもはや標準的な手法となっている。以下のような書籍はそのほんの一部だ。

 

ゲーム理論で考える政治学 -- フォーマルモデル入門
ゲーム理論で考える政治学 -- フォーマルモデル入門
  • 作者:浅古 泰史
  • 発売日: 2018/12/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明
「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明
  • 作者:伊神 満
  • 発売日: 2018/05/24
  • メディア: 単行本
 
教養の会計学:ゲーム理論と実験でデザインする
教養の会計学:ゲーム理論と実験でデザインする
  • 作者:田口聡志
  • 発売日: 2020/04/20
  • メディア: 単行本
 
数理社会学入門 (数理社会学シリーズ)
数理社会学入門 (数理社会学シリーズ)
 
計量社会学入門―社会をデータでよむ
計量社会学入門―社会をデータでよむ
  • 発売日: 2015/12/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

これは、経済学が開発してきた手法が、「社会を科学する」ための標準的なツールとして受け入れられつつある事を示唆している。

 

政治哲学や理論社会学といった各分野における伝統は、ゲーム理論を応用する数理政治学計量経済学の手法を応用する社会学研究などにとって変わられつつある。

 

自然言語を用いる伝統的な分析手法は、恐らく現在では「社会を科学する」ための標準的な手法とはあまり考えられていないだろう。

 

経済学が他の分野より優れているとか、経済学は万能なツールであるとか、そういう事が言いたいのではない。

 

私が言いたいのは、経済学は現状、多くの社会科学分野の基礎として受け入れられていて、かつ他に代替となりうる科学的手法はないという事。したがって、現状ではあくまで暫定として、経済・社会を科学的に分析するためには、経済学の手法を使うのが最も適当と考えられるという事だ。

 

経済学のモデルや実証研究に基づく政策提言は、そのモデルに誤りがあったり、データに偏りがあったりすれば、当然誤っている可能性が高い。

 

ではその一方で、モデルや実証研究に基づくもの以上に信頼性が高いと言える政策提言の方法は現状果たしてあるのだろうか?

 

4. 必要なのはモデル自体を評価する手法

 

私が今後の経済学に必要なのは、モデルによる分析を放棄する事ではなく、モデル自体を評価するための手法を開発する事だと思う。

 

ざっくり説明すると、以下のような事を言えるようなものだ。

 

「このモデルは、その分析対象の約〇〇%をモデルの中に組み込めている。」

 

例えば、ゲーム実験を念頭に置いたモデルであれば、分析の対象としたい環境のうち、人々の認識・思考能力の他は全てモデルに組み込めているから、分析対象の約70-80%(今ここの数値は適当)をモデルに組み込む事が出来ている、といった具合だ。

 

これが出来るようになれば、実験データを多く集める事によって、例えば「人々の合理的行動を仮定すると、分析の対象とする環境の約〇〇%を平均として捨象する事になる」というような事が言えるようになるのではないだろうか。

 

これは、良くある統計モデルの評価とは大きく異なる。統計モデルの評価は、多くの場合そのモデルの予測精度の高さを基準とする。しかしここでの評価基準は、そもそもモデルが分析対象である現実をどれほど近似できているかという点だ。

 

「予測どの程度可能なのか」という議論ももちろん大変重要だと思う。しかし、その前にまず、現状使われているモデルがどの程度分析対象に近いものとなっているのかという事をはっきりさせる定量的な手法が必要なのではないだろうか。

 

これは、環境の統制が容易で、実験結果の解釈が難しくなく、したがってモデルの予測力を直接の評価基準とできる自然科学にはない視点だが、環境の統制が難しく、実証分析の解釈が難しく、モデル化の際に分析対象を大きく捨象せざるを得ない社会科学では極めて重要な視点だと思う。 

 

今後、経済学が本当の意味で信頼性を得るためには、こうした方向性の研究が避けられないと思う。