エコノミック・ノート

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【ゲーム理論】「均衡である」よりも「均衡でない」の方が重要?

ゲーム理論の現実への応用について、一つ思い付きがあったので、備忘録的にまとめておきたいと思います。単なる思い付きなので、似たような研究やサーベイがあればご教授頂けると助かります。

 

さて、その思い付きとはズバリ、「○○は均衡である」という結果よりも、「××は均衡でない」という結果の方が、現実での再現可能性が高いのではないか?というものです。

 

もう少し正確に私の思い付きを言い換えますと、「均衡であると示された○○という結果が現実でも観察される」よりも、「均衡でないと示された○○という結果が現実でも観察されない」事の方が、実際には起こりやすいのではないか?というものになります。

 

この直観は、ゲーム理論をある程度ご存知の方ならば、何となく共感できる部分があるのではないかと思っています。

 

この記事では、この直観を少しだけ理論的に掘り下げたいと思います。また、その議論に基づいて、均衡選択の(新たな)問題点について考えたいと思います。

 

ナッシュ均衡による例

ここでは、ナッシュ均衡を例として、直観の理論的説明を試みます。まず、ナッシュ均衡の定義をおさらいしましょう。

 

ゲーム \( G=(N, \{S_i\}_{i \in N},\{f_i\}_{i \in N} ) \) において, 戦略プロファイル \( s^{\star} = (s_1^{\star}, ..., s_n^{\star})\) がナッシュ均衡であるとは, すべてのプレイヤー \( i \in N \) について, 以下を満たすことをいう: 

\( f_i (s^{\star}) \ge f_i(s_i,s_{-i}^{\star}), \forall s_i \in S_i. \)

ここで, \( s_{-i}^{\star}=(s_1^{\star},..., s_{i-1}^{\star},s_{i+1}^{\star},...,s_n^{\star}) \)である.

 

この定義から直ちに分かる事は、以下のような事です:

ある戦略プロファイルがナッシュ均衡である事を示すためには、すべてのプレイヤーについて均衡条件が成り立つ事を示す必要があります。これは、比較的に強い要請であると言えます。さらに、プレイヤーの数が多ければ多いほど、その要請は強くなります。

 

一方、ある戦略プロファイルがナッシュ均衡でない事を示すことについてはどうでしょうか?念のため書いておくと、ナッシュ均衡でない事の定義は以下の通りです。

 

戦略プロファイル \( s^{\star} = (s_1^{\star}, ..., s_n^{\star})\) がナッシュ均衡でないとは, あるプレイヤー \( i \in N \) について, 以下を満たすことをいう: 

\( f_i (s^{\star}) < f_i(s_i,s_{-i}^{\star}), \exists s_i \in S_i. \)

 

つまり、ある戦略プロファイルがナッシュ均衡でない事を示すには、ある1人について均衡の条件が満たされない事を示すのみで良いのです。しかも、プレイヤーの数がどれだけ多くなっても、ある1人ついて示せば良い事は変わりません。反例を示す訳ですから、当然といえば当然です。

 

ここまでをまとめると、以下のようになります。

ある戦略プロファイルがナッシュ均衡である事を示すには、すべてのプレイヤーの均衡条件が成り立つ事を示さなければならない。一方で、ある戦略プロファイルがナッシュ均衡でない事を示すには、ある1人のプレイヤーについて均衡条件が成り立たない事を示すのみで良い。

 

ここで重要な点は、この2つの非対称性にあります。つまり、「ナッシュ均衡でない」事の条件は、「ナッシュ均衡である」事の条件よりも、ずっと弱いという事です。

 

現実での再現可能性

ここまでの議論は、理論的結果の現実での再現可能性についてどのように関係するのでしょうか?

 

筆者はここで、これら2つの話を結びつけるために、一つ大胆なアナロジーをします。つまり以下のようなことを主張します:

 

「均衡である/均衡でない」の区分に関するものと同様の非対称性は、均衡条件のみならず、理論上の結果が現実で観察されるためのあらゆる条件にも存在する。

 

ここで、観察されるためのあらゆる条件とは、具体的には、「すべての人々は利得の最大化と整合的に行動する」「すべての人々は環境(=ゲームの構造)について完備な情報を持つ」等の条件を指します。

 

こうした条件が全て成り立つ事で、「ナッシュ均衡であると示された結果が現実でも観察される」事が成立します。

 

こうした条件は、均衡条件とある特徴を共有します。その特徴とは、「すべての人々(プレイヤー)についてある条件を要請する」というものです。先程の例では、「すべての人々は利得の最大化と整合的に行動する」「すべての人々は環境(=ゲームの構造)について完備な情報を持つ」といった具合です。

 

ここで、先程の「均衡である/均衡でない」の区分に関する非対称性についての議論を思い出しましょう。

 

それと全く同じように考えると、以下の事が主張できます: 

 

均衡であると示された結果が現実でも観察されるためには、すべての人々について理論上の結果が現実で観察されるためのあらゆる条件が成り立つ必要がある。一方で、均衡でないと示された結果が現実でも観察されないためには、ある1人について理論上の結果が現実で観察されるためのあらゆる条件(の一部)が成り立たてば良い。*1

 

より分かりやすくまとめると、

「均衡でないと示された結果が現実でも観察されない」ための条件は、「均衡であると示された結果が現実でも観察される」ための条件よりも、ずっと弱い

 

となります。

 

以上が、最初に述べた直観についての、私個人による理論的な裏付けとなります。


「均衡である/均衡でない」「観察される/観察されない」の条件の非対称性が、そのミソです。理論においてある戦略プロファイルが均衡でないためには、少なくとも1人の誘因についての均衡条件が満たされない事で十分であり、実際においてそれが観察されないためには、少なくとも1人の誘因や知識などの条件について仮定すれば十分だ、という事でした。

 

均衡選択の危険性

最後に、これまでの議論から新たに生まれ得る論点について議論します。その論点とは、均衡選択の危険性です。*2

 

「複数の均衡があるとき、どのように均衡を減らしてなるべく唯一均衡に近づけるか」というテーマは、数十年前には盛んに研究されていました。しかし、ここまでの話を念頭に置きますと、この均衡選択の危険性が見えてきます。

 

その危険性とは次のようなものです。

 

まず、均衡選択をするという事は、採用する均衡により強い条件を課す、という事になります。


これは、均衡条件の要請を強める事に他なりません。さらにこれに伴い、「理論上の結果が現実で観察されるための条件」の要請もより強くなります。何故ならば、「すべての人々が〇〇均衡の条件を考慮して戦略を決める」という条件もまた、「理論上の結果が現実で観察されるための条件」に含まれるからです。


この結果として、「均衡であると示された結果が現実でも観察される」可能性が低くなってしまいます。


一方で、均衡選択により均衡を減らすと、逆に均衡でない戦略プロファイルは増えます。*3このようにして、均衡選択によって新たに均衡でないとされた戦略プロファイルは、いわば「均衡である/均衡でない」の区分の境界に近い戦略プロファイルと考えられます。

 

ここで、こうした境界に近い(が均衡でないとされた)戦略プロファイルは、もともと均衡でないとされていたものよりも、現実で観察されやすいと考えられます。*4

 

しかし、これまでの議論に基づき、もともと「均衡でない」という結果の方が現実での再現可能性が高い(=現実で観察されにくい)と仮定すると、均衡選択の結果、「均衡でない」ものの全体としての再現可能性をかえって棄損しまうかもしれません。


以上の結果として、モデル全体としての再現可能性も低くなってしまう、という事が考えられるのではないでしょうか。

 

均衡を減らす事によってモデルの予測可能性を高める事を目的としていたはずが、かえってそれを棄損してしまうという皮肉な現象です。

 

もしこの現象が実際に起きているのであれば、その原因は、ゲーム理論の研究が「何が均衡であるか」を重要視するという習慣だと考えられます。しかし、ここまでの議論を踏まえて、改めて現実での応用・予測可能性を考えると、「何が均衡でないか」の方がずっと重要な事なのではないでしょうか。*5

 

チェーンストア・パラドックスは、部分ゲーム完全化(subgame perfection)によって消去される戦略プロファイルが実際には観察されやすい、という理論と実際のずれについての(疑似)パラドックスです。モデルの不完備性を組み込めていない事を原因とする事が主流の考え方ですが、私個人としては、このパラドックスの原因は、実はこの節で主張した事によるのではないか、と考えています。

 

この記事は以上です。

ここまで読んで頂き、誠にありがとうございました!

 

 

*1:「一部」とは、例えば、利得最大化の条件については、該当の「ある1人」がそれに基づき行動すれば良く、完備情報の条件については、該当の「ある1人」が持っていれば良い、という事です。

*2:まだしっかりと練られていないので、フワッとした話になってしまっています。ご了承ください。コメント大歓迎です。

*3:正確に言えば、「均衡となる戦略プロファイルの集合を収縮/拡張する」

*4:つまり、境界に近いほど、監察されるかそうでないかの区別が不明瞭ではないか、という事です。

*5:いわゆる「囚人のジレンマ」も、(協力, 協力)という戦略プロファイルがナッシュ均衡ではないという事を主張する、「非均衡命題」の一種です。