エコノミック・ノート

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【マクロ経済学】ポール・ローマー『経済成長理論における"数学っぽさ"』

 

前々から気になっていた Romer (2015) "Mathiness in the Theory of Economic Growth" の要旨を箇条書きでまとめる.  適宜※で私による個人的なコメントを入れている. 私は経済成長理論の修士1年のコースワーク程度の知識しか持ってないため, より詳しい方からコメント等を頂けると非常にありがたい.

 

以下, 論文のまとめ.

 

  • 科学は, 幅広く共有された合意を導く過程である.

  • ところが直近20年間で, 経済成長理論における合意に至るための科学的進歩は一つもなかった.

    ※ 論文出版年が2015年なので, 直近20年間とは1995年から2015年の間と考えられる.

  • 規模効果をモデルに組み込むために, 多くの経済成長理論家たちは独占的競争を受け入れたが, 影響力のある伝統的な学者たちはプライステイカーの仮定と外的な収穫逓増を支持し続けている. なぜこの論争は科学的方法で解決されなかったのか?

    ※ ここは良く分からなかったので調べたが, 規模効果とは経済が大きい(=人が多い)ほど経済成長率が高いという経験的事実を指しているっぽい. 確かにRomerの有名なR&Dのモデルは中間財市場に独占的競争の設定を入れていて, かつある条件の下で労働力が大きい(=人が多い)ほど経済成長率が高くなるようなものになっているようだ.

    ※ 独占的競争はNew Keynesianなら良く使われる標準的な設定だと思うが, 成長論では完全競争の設定が標準的なのか?確かに成長論は長期モデルを扱うので, 完全競争の設定は一応, 伝統的な経済学と整合的である.

  • 「数学っぽさ(mathiness)」は学会内の政治を科学っぽく見せる.

    ※ 学会内にも政治がある. 「数学っぽさ」はそのただの政治的行為を科学的行為に見せかけるという事らしい.

  • 「数学っぽさ」は自然言語による言明と形式言語による言明, また理論的言明と実証的内容との間に, 強固な繫がりを作るどころか, 無視できないズレを残す.

    ※ 要は, 言葉と数式との繋がりや理論と実証との繋がりを, それぞれ明確にせず曖昧なままにしておくという意味合いだと思う.

  • これらの繫がりが強固である良い例は, Solow (1956) の「資本」という概念や, Becker (1962) の「人的資本」という概念だ. どちらも明確な意味が与えられていて, 言葉と数式, 理論と実証の強固な繫がりを確立した.

    ※ ここは他の成長論の専門家にも聞きたいところ.

  • 逆に, 悪い例は McGrattan and Prescott (2010) の「位置(location)」という概念だ. この言葉は, すでに商品差別化の理論や経済地理学において明確な意味が与えられている. しかし, 彼らはそれらとは全く違う形で定式化しており, 言葉の意味が伝わらない. また, 彼らの言う「位置」は定量化するための尺度がなく, 観測もできない. よって, 実証による理論の検証が出来ない. しかも, 彼らは何の説明もなくある国の「位置」の生産量は居住者の数に比例するとしている. どういったメカニズムでそうなるのか?

  • 伝統的な学者たちは, プライステイカーの仮定を置いた成長モデルを宣伝するために「数学っぽさ」を使う. McGrattan and Prescott (2010) は幾つかある内の1つの例である. 彼らは科学的な論争に負けつつあり, 恐らくそれが理由で科学から学会内政治に重点をシフトしている.

    ※ 科学的な論争とは, プライステイカーの仮定(完全競争の設定)と独占的競争の設定のうちどちらを支持するかという話である.

    ※ 全体を通して思ったが, この論文もまた独占的競争の設定を用いた成長モデルの宣伝ではないか?まぁ, どちらがより現実に近いかについてはあまり議論の余地がない気はするけども.

  • 「数学っぽさ」と本物の数学的理論を見分けるには, なかなかの努力がいる. なので, 「数学っぽい」論文が多いほど, それらは長きに渡って悪影響・損害を及ぼす可能性がある.

  • 「数学っぽい」論文はレモンと同じ. いずれは逆選択により, 本物の数学的理論は消え, 「数学っぽい」論文だけがお遊びとして残るだろう.

  • 科学的進歩は2つの条件の下でより速くなるだろう. 1つ目は, 数学によって与えられる共有された言葉の明確さと精密さに我々が頼り続ける事. 2つ目は, データや観測を分析する中で, 本物の数学的理論による強力な抽象を利用し洗練させ続けることである.

    ※ ざっくり言うと, 言葉遣いに気を付けよう, 実証と理論を擦り合わせながら絶えず洗練させていこう, といった感じだろうか. こう書くとかなり当たり前だ.

  • Lucas (2009) の証明には誤りがある. この誤り自体は皆やりがちなもので, これは「数学っぽさ」によるものではない. しかし, WPの段階でも査読の段階でも証明の誤りに誰も気が付かないという事は, 誰も数学を真面目にやっていないという事の表れではないか.

  • Piketty and Zucman (2014) はかなり精密にデータと実証分析の結果を示している. 彼らはすでに, 「実証は科学で, 理論はお遊び」という新しい"均衡"における期待に反応しているのかもしれない.

  • かつての経済学者たちが数学を用いて抽象化をする時に誇りとしていたのは, 明確さ, 精密さ, そして厳密さだった. 

 

 

以下, 本文で批判にさらされている論文リスト.

 

McGrattan, Ellen R., and Edward C. Prescott. 2010. “Technology Capital and the US Current Account.” American Economic Review 100 (4): 1493–1522.

Boldrin, Michele, and David K. Levine. 2008. “Perfectly Competitive Innovation.” Journal of Monetary Economics 55 (3): 435–53.

Lucas, Jr. Robert E. 2009. “Ideas and Growth.” Economica 76 (301): 1–19.

Lucas, Jr., Robert E., and Benjamin Moll. 2014. “Knowledge Growth and the Allocation of Time.” Journal of Political Economy 122 (1): 1–51.

 

参考文献(↑を除く)

Becker, Gary S. 1962. “Investment in Human Capital: A Theoretical Analysis.” Journal of Political Economy 70 (5): 9–49.

Piketty, Thomas, and Gabriel Zucman. 2014. “Capital is Back: Wealth-Income Ratios in Rich Countries 1700–2010.” Quarterly Journal of Economics 129 (3): 1255–1310.

Romer, Paul M. 2015. "Mathiness in the Theory of Economic Growth." American Economic Review, 105 (5): 89-93.

Solow, Robert M. 1956. “A Contribution to the Theory of Economic Growth.” Quarterly Journal of Economics 70 (1): 65–94.